上田のこと
経緯・思い

上田のこれまでの経緯や思いを
軽いVerと重いVerの自己紹介

ライトな自己紹介

まいど!
がちがちの農家のサラブレッド上ちゃんです。
サーフィンとカメラをたまにします。
どっちも超ビギナーです。笑
楽しいことや飲み会が大好きです。

せっかく田舎に住んでるんだから田舎なりの
楽しい遊びを作って友達と楽しもう!
って流れでキャンプ場を作りました。

恥ずかしがりという事と
雰囲気を出したいという事で
友人限定のキャンプ場。

さらに『1組』限定!
行くか行かないか迷う前に
連絡お待ちしてまーす!

ヘヴィな自己紹介
【マニアはこちら】

私、上田幸平は
100年以上続く農家の長男として生まれ
小さい頃から跡を継ぐと
言い聞かされて育ちました。

しかし、その反発で
「絶対農業はしたくないし、しない」
と決意し、一般企業に就職しました。
自分の中に固定観念が出来ていました。

ところが皮肉なもので、
実家で取れた柿を職場の先輩や
営業先のお客様に渡すと
「こんなに美味しい柿は食べたことがない!
柿のイメージが変わった!」
と言ってもらえて
その時初めて「凄い物なのかな?」
と自分の中の柿に対するイメージが
少しだけ変わりました。

そして約10年ほどサラリーマンとして働き、
自分も中堅社員になろうかというときに・・・
母親がガンで倒れました。

「余命半年。お母さんもう死ぬわ。」
と電話がありました。
口では「あんたの好きに仕事を選んだらいい」
と言っていた母も、遠回しながら
帰ってきてほしいという
メッセージがひしひしと伝わりました。

今までずっと父母2人で仕事。
1人暮らしさえしたことのない父親。
父が農業と介護を同時になど
出来るはずもないことは明白でした。

悩みに悩んでいた私。
社内の先輩などに相談すると親身になって
相談に乗ってくださいました。
その時相談させていただいたほぼ皆さんが
「お前の実家は立派な柿農家やから
帰って継いであげないとな」
と言われました。

しかし、そこまで言ってもらっても
まだ自分の中の「農家はいやだ」
という考えは変わりませんでした。

母親が長期入院し、
父親も介護と仕事で
パンク寸前になったため
農家をしたい、したくないではなく
半ば強制的に退職し
家業を継ぐことになりました。

農家を継いだ甲斐もなく
その後母はすぐに他界しました。
母親が亡くなった後は
非常につらかったです。

文化も常識も全然違う世界で
一から生活のやり直し。
毎日父とぶつかりました。
誰かに愚痴をぶつけることもできず
毎日つらかった。
今でも昨日のことのように覚えています。

しかし、そんな中でも
今まで付き合ってくれた
先輩や同僚、お客様、友人が
「元気か?大丈夫か?
落ち着いたら飲みに行こう」
と声をかけてくれました。
また学ぶことの重要性も教えてくださり
精神的にも考え方的にもそのおかげで
なんとか乗り越えることが出来ました。

そして就農後迎えた初めての柿の収穫。
支えてくれた方々へのお礼に
柿を贈らせてもらったら
「お前のところの柿美味しいな」
と言ってくださり
その時初めて柿を誇りに思えました。

正直まだチャンスがあれば
サラリーマンに戻ってみたい
という思いもあります。
そう思っても仕方ないので、
柿・梅農家としてさらに楽しく過ごすには
どうしたら良いかなと考えた時
自分の中で【仲間】
というキーワードがでてきました。

仲間が集まれるならここで楽しんで働ける。
その思いから仲間が集まり、
繋がりを感じられる場所を作ろうと思い
このキャンプ場を作りました。

最初はお化け屋敷のように
ボロボロだった倉庫。
それを1年かけて片付け、
さらに1年かけて解体し
そしてさらに1年かけて
キャンプ場っぽいところを作りました。

これからみんなの力を借りて
どんどん成長するキャンプ場にしたいので
ぜひ遊びに来てください。

そして
一緒に遊びに来てくれた
グループや家族との絆を深めてください。

また余裕があれば
農作業とキャンプ場づくりを
手伝ってください。笑
さらに余裕がある方は
僕とも絆を深めてください。笑

ロケーションや設備が
段違いに優れたキャンプ場は
たくさんありますが
絆を深めることに特化した
キャンプ場はほかにないでしょう。

行ってみたいと思われた方は
ぜひ遊びに来てください。
奈良の田舎でお待ちしております。